当会館のある大阪市住吉区苅田は、大正14年に大阪市に編入されました。その後、昭和6年に苅田耕地整理組合を結成、事業完成に伴う普通水利組合設立(昭和15年)、法律改正による苅田土地改良区へ移行(昭和25年)をしながら広大な農地が広がっていた苅田地域の農業生産の安定合理化の為、各種の土地改良事業を行いました。
急速な市街化進行のなかで、道路網の整備をはじめ、苅田地域の生活文化、環境整備、社会福祉活動を経て、平成6年に苅田土地改良区を解散(大阪市苅田土地改良区解散記念誌 参照)、同年、伝統文化の振興と地域福祉の向上を図り、心ふれあうまちづくりの推進をめざして「財団法人(現在は一般財団法人)苅田土地改良記念コミュニティ振興財団」を設立し平成8年5月に「苅田土地改良記念会館」を開館しました。
貸室事業のほか、地域の文化向上・コミュニティ形成を目的に、財団主催で毎年無料の文化講演会・お茶会、不定期で苅田地域の勉強会を開催しています
当会館のある苅田地域は、明治期は「依羅(よさみ)村」といわれていました。依羅は日本書紀などの国史に数多く登場し、大依羅(おおよさみ)神社や依網(よさみ)池(日本最古のため池といわれ、王権により農地開拓のため築造された大規模なため池。大和川の付け替えで分断、現在はありません。)を有した歴史ある地域です。
当会館設立の目的である、「苅田の伝統文化の振興と地域福祉の向上を図り、心ふれあうまちづくりの推進」として、苅田村の庄屋であった寺田家の古文書をお借りし、江戸時代初期の水利関係絵図、大和川付け替えによる水系への影響を表した絵図、大正~昭和~平成にわたる地形図・航空写真をパネルにして1階ロビーに掲示しております。
当会館の駐車場角にあります「紀恩の碑」(苅田耕地整理組合が事業を完成した記念に建てられた碑)に刻まれた、依羅の歴史の碑文見学とともに、歴史をたどる「まち歩き」の立ち寄り場所としてご利用頂いております。
1階ロビーの苅田の歴史コーナー
苅田耕地整理組合設立に尽力した
依羅村(明治期)の村長、東野修一郎氏の銅像
紀恩の碑
依羅の歴史について刻まれている
※碑文、現代語訳をご入用の方は
事務所まで
また当財団の文化・歴史事業として、苅田村の庄屋であった寺田家の古文書をお借りし、「摂津国住吉郡苅田村 寺田家文書(改訂版)」「摂津国住吉郡苅田村 寺田家文書 絵図編」を発行しました。寺田家文書は、16世紀末~江戸から明治に至る文書、寺田家文書絵図編は水路や樋口を示す水利図と村絵図などが掲載されています。
苅田地域の歴史を後世に伝えられることを願って、大阪市史編纂所、役所、大学、教育委員会、区内や堺市の小中学校・図書館、神社、博物館・資料館などへ謹呈をさせて頂きました。
「摂津国住吉郡苅田村 寺田家文書(改訂版)」(全90頁)
左頁)依網池水利権に関する覚書
味右衛門池(依網池)に関する権利と水掛りについて
慶長3年の裁定の確認を求めた文書
「摂津国住吉郡苅田村 寺田家文書 絵図編」(全45頁)
右頁)狭山池水系大絵図
狭山池および石川・東除川西除川を中心とした
和泉・河内・摂津三国にまたがる水系図